2021.10.22

日本の『首都』と『上』にまつわるお話


 どの国にも通常『首都(王都、帝都)』と呼ばれている都市があると思います。

ー現代日本では首都=東京だが、昔は違った!?

 ただ実は、東京は昔からずっと『首都』だったわけでも、日本の中心地であったわけでもありません。むしろ長い歴史の中では、関東地方の交通の要衝ではありましたが、やはり『田舎』と言ってもよいところでした。
昔は『江戸』と呼ばれており、1868年から『東にある都=京、という意味』で『東京』と呼ばれるようになり、日本の首都になりました。

 西暦1600年頃、徳川家康という人(その頃、日本を実質的に支配していた武士)が東京の周り(その頃は江戸と呼ばれていました)を本拠地として治め出して、一気に日本の中心地として発展を遂げて行きます。
そして、その後、『実質的な権力』を持っていた武士の時代が終わる1867年まで、日本の政治の中心地として栄えます。

 ですが、その時の『首都』は実は東京(=江戸)ではありませんでした。
なぜなら、日本の本当の国王である『天皇』は東京に住んでおらず、京都にいたからです。日本の長い歴史上、天皇は基本的にずっと京都にいました。ですから日本の首都はずっと京都だったのです。

ー『実質的な権力』とは?武士?それとも天皇?

 外国の人には少し難しい話題かもしれませんが、日本の歴史上、武士が権力を握っていた時代は西暦1190年頃~1867年までの約700年間だけでした。その間『実質的な権力』は武士が持っていましたが、日本の国王は天皇であるという点は変わりなかったので、天皇の居る京都が首都とされていたのです。

 そして1867年、その時東京(=江戸)を本拠地としていた武士による時代が終わりました。この時、日本を政治的に統治する権力も天皇に返還され、天皇が再び日本の名実伴う国王に戻りました。その際、天皇は自身の住居を東京(=江戸)に移したので、この時から東京が『首都』になったのです。

ーなぜ東京に行くことを「上京」と言うのか

 ちなみに、昔から日本では京都に行くことを『上京(じょうきょう)、上洛(じょうらく)』する、と言っていました。また、武士が東京を本拠地としていた時代(江戸時代)では、京都及びその周辺のことを『上方(かみがた)』と呼んでいました。
天皇がいるところを『上』という言葉を使って表していたからです。これは実質的な権力者である武士が京都にいなくても、天皇は京都にいるので、『京都が首都である』という認識を日本の国民が持っていたからに他なりません。

 天皇が東京に住むようになってからは、京都周辺のことを『上方(かみがた)』とは言わなくなりました。また逆に、東京に向かうことを『上京する』、『上る(のぼる)』、東京から離れることを『下る(くだる)』というようになりました。
 ちなみに、鉄道などで、東京に向かう路線を『上り(のぼり)』、東京から離れる路線は『下り(くだり)』とされることが多いのもこの関係でしょうね。

 
 どの国の言葉でも同じだと思いますが、言葉にはその国の歴史や文化がたくさん詰まっています。なので、日本語を学ぶと同時に、是非、日本の歴史や文化にもたくさん触れてくださいね。きっと色々な新しい発見があり、言葉を習得していくことが楽しくなると思います。

 
追記:
ちなみに、武士の時代と言われる700年間は、時代やその棟梁が誰かにより、『本拠地=政治の中心』は異なります。神奈川県鎌倉市、京都(天皇のすぐそばにその武士の棟梁もいた時代もありました)、そして東京などです。

また、1868年以後、天皇が日本の国王として権力を持って再び日本を統治していましたが、それも1945年までで終わりました。今は皆さんも知っての通り、選挙によって政治で一番偉い人=総理大臣を決めており、天皇は国旗同様、国家の象徴としての役割を担ってくれています。 

 
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