外国人が難しいと感じる日本語、例文3選

外国の人はよく、日本語は分かりにくく、むずかしいと言いますが、本当にむずかしいのでしょうか?
よく考えると、そこに実は日本人特有の、優しい、思いやりの心があって、それで分かりにくいと感じることが多いようです。
今回は、そんな曖昧な日本語を例にして考えてみましょう。

 

あるエピソード

私が北京の大学で日本語の教師をしていた時のことです。
冬が終わり、すこし暖かくなってきたある日、日本語科のクラス委員が声をかけてきました。今度、みんなで花見にいくので、一緒にいかないか、というのです。北京にも桜の名所があって、中国の学生たちが日本の象徴・桜の花を見たいといってくれるのは、日本人の私としては嬉しいことです。それに教室を離れて、学生たちと花見をしながら一杯やるのも楽しいことです。ただ、そのころちょうど体調を崩していたし、私としては毎年のことで少し新鮮味を感じなくなっていたのは確かです。それで、つい、

「花見? うーん、考えておくよ」といいました。

その後、学生が「花見は来週の日曜日になりました」と言ったので、私は正式に行かない旨を伝えたところ、彼は残念そうな、ちょっと怪訝(けげん)な顔をしました。

 

わかりにくい日本語

それから数日たって、またその学生が声をかけてきました。「G先生から聞きましたが、日本人が『考えておく』といったら、それは「ノー」の意味ですってね」。
私は瞬間、しまった!と思いました。不用意に「考えておく」といったばかりに、学生に期待を持たせてしまったのです。あわてて「う、うん。そ、そういう場合が多いね。」と言ったのですが、その学生、さらに「どうしてですか?」とたたみかけてきます。私は、まあ、これも日本語学習のいい機会だと思い、「だって、せっかく誘ってくれたのに、その場で即座にノーといったら、なんか悪いでしょ?」というと、「えっ、どうしてですか?」と学生。どうやら、その意味が理解できなかったようです。読者の皆さんはどう思いますか? 「考えておく」と言ったら、相手の人は「行く」と受けとるので、「行かない」と言ったほうがいいと思うでしょうか。

 

日本人の発想

日本人は、ふつうそうは思いません。学生からの誘いに対して、即座に「いかない」といったのでは、にべもそっけもない答えになります。「にべもない」は少しも思いやりがないこと、「そっけもない」とは相手への好意が少しもないこと。つまり、学生の期待を一気に打ち砕く、人間として情のない答えになってしまいます。だから私も無意識のうちに「考えておく」と言ったのです。

一般に、中国や欧米の人たちは、自分の考えを大切にし、はっきりものを言う習慣があります。相手がどう思うかというより、しっかり自分の考えを伝えることが大切だということでしょう。一方、日本人はふつう、こう言ったら相手はどう思うだろうか、いやがるかもしれない、などと細かい配慮しながら話します。相手の誘いをその場で断ったら相手を失望させることになると思うのです。

 

柔らかい言い方

そのような心の動きが言葉に表れるのを、さまざまな場面で見ることができます。たとえば友だちに、お酒に誘われた時の会話を見てみましょう。

A:「今夜、一杯どう?」
B:「ああ、いいねえ! C君はどうする?」
C:「僕はちょっと……

OKの時はいいのですが、断る場合は「僕は行かない」とはっきり言わないで、Cのように、やはり言葉を濁して(全部言わないで)言います。せっかく誘ってくれた相手に申し訳ないと思う気持ちが働くからです。
さらに打ち合わせや会議など、自分の意見を言ったり、相手の意見を批判したりするのが当然の場面でも、似たような発言がみられます。たとえば、

A:「新製品の発売は、私は8月1日がいいと思いますが、皆さん、いかがですか?」
B:「賛成です!」
C:「私は、ちょっと早いかもしれない、という気がするですが……

Bのように賛成の場合は問題ないでしょう。ところが、CはAの提案にはっきり反対したりせずに、「ちょっと」とか「~かもしれない」「気がする」などの言葉や、あるいは最後まで言わないで「ですが……」などの表現を使っています。これはAの提案にまっこうから反対したらAは不愉快に思うだろう、という配慮の表れなのです。
特に、上司やお客さん(外国人もお客さんです!)など、気を遣う(=配慮する)必要がある相手に対しては、失礼があってはいけないので、こうした表現が多く見られます。これらは、まさに日本人の感性が色濃く映し出された言葉だと言えるでしょう。

 

「和」を大切にする日本文化

もともと誰かを誘ったり、何かを頼んだりする時、人は相手に「イエス」という答えを期待しているわけですから、「ノー」と言われたらがっかりしたり、いやな気持ちになったりするものです。だから、相手の気持ちを思いやるやさしさや気配り、人との調和が必要だと思っています。
日本人は特にその傾向が強いと言えるでしょう。これは日本という狭い国土の中で、多くの人と気持ちよく生きていくための、昔からの生活の知恵なのです。強くはっきり言わない、ノーと言わない、やさしく、思いやりをもって対応する。それが相手の気持ちを尊重する「和(=harmony)の文化」なのです。

世界中のどの民族の言葉も、習得するのは簡単なことではありません。言葉には背景に、その民族の深い伝統と文化が存在しているからです。みなさんも、TCJで日本語と、その背景にある日本の文化を学んでみませんか?

 

この記事の筆者
日本語教師
MoritaRokuro
プライベート・レッスン講師。出版社で雑誌・単行本・辞書編集などを担当した後、中国・北京の大学で12年、日本語・日本文化・剣道を教える。帰国後は、東京中央日本語学院で日本語講師。趣味は音楽、剣道(教士七段)。著書に『北京で二刀流』(現代書館)、『日本人の心がわかる日本語』(アスク出版)など。

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